<話題の本>『恋する仏教 アジア諸国の文学を育てた教え』
石井公成 (著)『恋する仏教 アジア諸国の文学を育てた教え』(集英社新書、2025年)
事務局長の佐藤です。
著者の石井公成先生は駒澤大学名誉教授で、仏教研究界のオールラウンドプレーヤーとして知られています。該博な知識とそれらをつなぐ発想力で、数々の新発見、新知見を学界にもたらしてきました。大学を退任した後も旺盛に研究を続けています。本書はインド、中国、朝鮮半島、ベトナム、日本といったアジア地域全体の文学の背後にある仏教を扱っています。構成は次の通りです。
はじめに
第一章 インドの仏教経典に見える恋物語
第二章 中国の恋物語と仏教
第三章 韓国の恋物語と仏教
第四章 日本の恋歌・恋物語と仏教
第五章 ベトナムの恋物語と仏教―諸国の作品との対比
おわりに
どの章を読んでも発見が多いですが、とくに第四章の日本の部分は一番分量も多く内容も圧巻です。扱われている作品も、『万葉集』、『古今和歌集』、『竹取物語』、『伊勢物語』、『源氏物語』、『好色一代男』、『曽根崎心中』、『たけくらべ』などで、これらの作品を読むことすら大変なのに、一つ一つ背景となる仏教思想を探り当てていることがすごいです。さらには、ただ仏教思想の影響を指摘するだけでなく、重要な言葉について、古代インドの言葉に遡って著者独自の見方を提示しているところもすごいです。一例として、『源氏物語』に頻出する「常なさ」という言葉の部分を引用します。
『源氏物語』で特に注目すべきなのは、無常に対する関心の深さです。無常を訓読した「常なし」やその類語は、『万葉集』ではあまり使われておらず、・・・(中略)・・・特に重要なのは、「常なさ」という名詞です。というのは、インド仏教のうち、パーリ語となって残っている初期の文献では「〜はnicca(常住:サンスクリット語ではnitya)ではない」という言い方がなされ、次に「常住でない」ことを一語で示すaniccaという語(サンスクリット語ではanitya)が使われ、さらに「常住な存在はない」ことが強調されるようになり、その結果、aniccatā(無常たること、サンスクリット語ではanityatā)という抽象名詞が作られるようになりました。つまり、無常のとらえ方が時代とともに進んでいったのであって、そうした抽象名詞である「常なさ」という語を『源氏物語』が使っているのです。「常なさ」の語は『源氏物語』以前から僧侶の説法などで使われていたと思いますが、ほかの文学作品には見えず、「常なし」の語を異様に多く使っている『源氏物語』が用いていることが重要です。(pp.188-190)
いろいろな知的関心を呼び起こすネタ満載の名著です。
佐藤 厚
(感謝! Guren-The-ThirdeyeによるPixabayからの画像)